平重衡とらわれの松跡

只今放送中のNHKドラマ『平清盛』と此処、須磨の土地とは強固な結びつきがあります。

今回は6年に渡る源氏平家による内乱、源平合戦という名で知られている治承・寿永の乱の中の一つ、須磨で行われた、一ノ谷の戦いに関わる歴史の一つをご紹介します。

一ノ谷の戦いについてはこちら≫

平重衡とらわれの松跡
◆平重衡とらわれの松跡

今回ご紹介する中世の須磨を思わせる名所は山陽須磨駅下車すぐにあります。

一の谷の戦いの最中、重衡は東の前衛基地であった生田の森の守りを固める副大将でした。
しかし、源氏の激しい攻撃に総崩れになった平家。重衡も味方の船に乗り退却しようとしましたが、須磨寺の近くで馬を射られ生け捕りに合ってしまいます。

その時腰を下ろし悔し涙を流したのがこの松の木、と言われています。
その様子に同情した村人が一杯の獨酒を献上した所、重衡は大変喜んで受け取り一つの句を残しました。

ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて
           須磨で飲むこそ 濁酒なれ

その後、鎌倉に引き渡されるも、その器量に源頼朝は感心し厚遇されたと言われています。



平重衡の石碑以外にも一の谷の戦いは須磨に大きな影響を与え、様々な歴史の欠片を残しています。

以前伝記の方で紹介した安徳天皇の安徳宮
一ノ谷が激戦地で合ったことを教えてくれる、戦の濱など、
他にもまだ源氏と平家に関わる塚や寺、墓が残っております。
是非、須磨の歴史を巡ってみてくださいね。

<アクセス>
山陽電鉄「須磨寺駅」北すぐ