須磨の関跡

皆さんは、須磨があったことをご存知でしょうか?

天下の三関という「伊勢の鈴鹿の関」「美濃の不和の関」「越前の愛発の関」は、都や皇居(畿内)を守る為に特に重視された関がありました。

実は須磨の関は「摂津の関」と呼ばれ、この天下の三関に次いで畿内と西国とを繋ぐ交通と軍事の要衝として重要な関でした。
それも天下三関が廃止された789年前後に須磨の関も廃止されてしまいました。

須磨の関跡
しかし、その場所は明らかになっておらず、明治の始め頃、現光寺の裏手から掘り出された石柱の側面に「川東左右関屋跡」と刻まれていることから、現光寺付近に合ったのではないかと考えられています。

その石柱は現在、関守稲荷神社の鳥居のそばに建てられており、この神社には須磨の関の守護神と言われている稲倉魂神が祀られています。

また、関守稲荷神社の境内には百人一首で知られている源兼昌の歌碑があり、須磨の関を詠う歌として有名です。




須磨の歴史を知る上で外せない須磨の関。現代にも残るその跡へ足を運んでみてはいかがでしょうか?