菅原道真

須磨の歴史を紐解くと、平安時代の貴族や学者、漢詩人、政治家など多くの分野で活躍した皆さんも御存知の人物、菅原道真もこの土地に訪れたと言われており、その様子は源氏物語須磨の巻にも残されています。

醍醐天皇の時代には右大臣にまで登った道真でしたが、左大臣である藤原時平の告げ口により九州太宰府に左遷させられてしまいます。
九州へと移動する際、道真は雨風を避けるために須磨へと訪れいろいろな伝説を残して行きました。その名残が今でも網敷神社等須磨の色々な場所に残されています。

九州太宰府で死後、京には異変が相次ぎ、道真は天神様として信仰されるようになり、現在では幼少の頃より天童として詩歌の才を見せ、生前は優れた学者、詩人であったことから、天神様から学問の神として信仰されています。

次回は菅原道真が残した歴史の欠片をもう少し詳しくご紹介したいと思います!