須磨寺 植櫻記碑(神田兵右衛門句碑)

皆さんは須磨寺に「新吉野」と呼ばれる桜の名所があったことをご存知でしょうか?

現在の桜の名所と言えば須磨浦公園ですが、昔の須磨の桜の名所と言えば須磨寺でした。
今回はそんな須磨の桜に関する句碑をご紹介します。

須磨寺 植櫻記碑(神田兵右衛門句碑)
■植櫻記碑(神田兵右衛門句碑)
場所は須磨寺の源平の庭の前にある若木の櫻の前です。この句碑は植櫻記碑と呼ばれ、一番左手には神田松雪(神田兵右衛門)の俳句が記されています。
   花千母登
     昔稚木乃
        さくら哉


明治24年に建立された句碑ですが、当時須磨寺は度重なる天災や人災により多大な被害を受け、著しく荒廃していました。
当時の住職が須磨の境内へ民を迎える工夫をすることを決意し、神田兵右衛門へ助けを求めました。その際「作楽帳」という寄付帳をつくり一人一本桜の若木の寄付を行ない、結果千本もの桜が須磨寺に集まり、「新吉野」とまで言われる桜の名所が誕生しました。

その後、須磨寺には数多くの人が集まり、須磨寺付近も大いに発展が進んだとされています。

また、神田兵右衛門は兵隊の編成や運河の築造、水道の布設などの功績を持ち、神戸市の初代市会議長を努めた人物としても有名です。

現在の須磨寺にも桜は多く残っており、ゆったりとした自然の中で春を感じることができる場所ですので、是非、桜の季節になった際は須磨の歴史も感じることが出来る須磨寺へ訪れてみてはいかがでしょうか?